第1話 銅板のレリーフ タンザニアにて

Text by Satoko TANAKA 

 

 

私は1995年~1997年にかけて、タンザニアはダルエスサラームで暮らした。もう20年以上前の話だ。

海沿いに位置するタンザニア第一の都市は、暑く湿度が高く、「アフリカの優等生」と呼ばれながらも貧しい国だった。  

ダウと呼ばれる帆船で漁に出る
ダウと呼ばれる帆船で漁に出る

 

町はイスラム教徒とキリスト教徒のタンザニア人が混在し、ビジネスを牛耳るのはインド人、最多ドネーション国家は日本という具合。

道路事情のインフラは鴻池組が担っているとかで、信号機は日本式、 ダルエス市内唯一の歩道橋は市民の夕涼みの場所と化していた。

車両も左側通行のせいか町の印象に違和感はなく、すぐに馴染めた。

でこぼこ道を走る中古バスやワゴン車(ダラダラと呼ばれ る乗り物)には「◎◎幼稚園」「◎◎市役所」といったペイントが残ったままで、脇に「マネー・ファースト、ラブ・ネクスト」と書き加えられていたのには苦笑い。 

子どもたちの通学路
子どもたちの通学路

 

一見のどかだが、「散歩は控えよ(移動は車で)」「夜の運転中に赤信号と出くわしても、用心して通過しろ(車を止めてはいけない)」「帰宅時の門の開閉は門番に素早くやらせる(賊を侵 入させない)」などなど、在留邦人の間では暗黙の了解があった。

極めつけは、寝室のドアと窓に鉄格子が備え付けられていたこと、前任者からの引き継ぎ品に拳銃があったことだ。

危険をできるだけ排除しながら生活するのは緊張の連続だが、それでも日々の暮らしは安穏として、ブーゲンビリアに包まれた庭とそこに実るココナツやアボガドを楽しんだり、滝のように屋根を流れ落ちるスコールに唖然としたり、真の闇夜の深さに震えたり・・。どんなささいなものでも、日本にはない未知の自然に触れる体験に、心が弾んだ。  

庭のココナツをみんなで落とす
庭のココナツをみんなで落とす

 

知り合った人々の中に、インド人のサンディがいた。

彼女の悩みは妹の心臓の病。日本では一般的な手術で快復が見込めるが、タンザニアではもちろん、インドに帰ったとしても完全な治療はおぼつかないだろうということだった。

サンディも妹も、長くは生きられない現実をただ受け留めていたのが、私にはやるせなかった。  

診察を待つ人
診察を待つ人

 

二人で最後のお茶を楽しんだ日、サンディが私にくれたものが手製の銅板のレリーフだ。

瑞々しい果実と野菜が、こぼれんばかりにたっぷりと打ち出されている。

これを見る度、サンディの家の居間の黒光りする太い柱や風をはらんだカーテンのふくらみを思い出す。

窓枠の向こうは目もくらむほどの白光を抱えているのに、我々が向き合う卓の周りは水底のように薄暗く、しんと静まりかえっ ていた。

帰国した翌年、ダルエスサラームとケニアのナイロビでアメリカ大使館を狙った同時爆弾テロが起きた。

世界が少しずつ崩れ始めていることにようやく私が気づいたのは、それからのことだった。  

サンディから贈られた銅のレリーフ
サンディから贈られた銅のレリーフ